『孫子』に学ぶ、人間学 ① 2500年間、受け継がれる〝生きるヒント〟

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【第1回】2500年間、受け継がれる〝生きるヒント〟

『孫子』とは、今から約2500年前、中国の春秋戦国時代を生きた軍事思想家・孫(そん)武(ぶ)が著した、最古で最高の兵法書です。

2500年前と言えば、仏教の祖・釈迦が修行を重ねて悟りを開き、ギリシャ・アテネのアクロポリスにパルテノン神殿が建てられたのと同時代。日本では、縄文時代後期が始まった頃のことです。そんな大昔の兵法書が、現代社会に役に立つのか? と疑問に思う方もいるでしょう。

しかし『孫子』は、魏の曹操、武田信玄、吉田松陰、ナポレオン、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世など、古今東西の英雄や思想家・為政者に愛読され、現代でもソフトバンクの孫正義氏や、マイクロソフトのビル・ゲイツ氏など、多くの経営者に多大な影響を与えていることで知られています。日本には、8世紀に唐から吉備真備が持ち帰ったと言われています。

国や時代は違っても、命をやり取りする究極の場面である戦争において、人はどう動くのか、組織はどうあるべきか、いかに生き抜くかという視点から、孫武は人間の本質や本性にアプローチします。そこには、人の集合体である企業・地域・国家・各コミュニティといった、あらゆるシーンに共通する示唆が含まれています。

『孫子』はもともと、6000字ほどの短い文献です。しかし軍事戦略のみならず、経営や政治、経済、哲学、文化、スポーツなど、現代社会を構成する幅広い分野に応用できる〝真理〟が集約されています。そこから、人生を意義深いものとして生きるための、いくつものヒントが得られるのです。


『孫子』は「負けない」ための兵法

少子高齢化が進み、日本はすでに人口減少のベクトルに転化しています。世界各国を見渡しても政治や経済は混沌とし、先行きの見えない不透明な時代が続いています。何より長年にわたって続けてきた環境破壊のツケが、地球の未来において大きな不安要素となっています。

『孫子』は一言で言えば、勝つことよりも負けないことを重視した兵法です。戦争では、戦って負ければ多くの人が死に、国は滅びます。勝つことばかり考えていては、命がいくつあっても足りません。だから、まずは負けないこと、負けない準備をすることが大切だ、と『孫子』は教えています。負けずに命があれば、またリベンジできる。だから日々の勝ち負けではなく、最後まで生き抜いて勝つことを示唆しているのです。

人生に置き換えて考えてみると、80年、90年の人生のうち、社会人生活は40年から50年。ビジネスの世界を半世紀生き抜いて、その後の余生も生き生きと前向きに過ごすには長期的な視点が欠かせません。目の前の敵を撃破して勝ち続けることばかり考えるのではなく、負けずに最後まで人生の「勝ち」を狙うことが重要です。

先の見えない激動の時代、物事が複雑化した混沌の時代に「こうすれば勝てる」という安易な成功法則はありません。だからこそ「こうすれば負けない」という知恵を身に付けることが、私たちを強くするように思います。『孫子』には、2500年にわたって伝え続けられた〝負けない知恵〟が著されています。

『孫子』を構成する13篇の教え

『孫子』は13篇で構成されます。

1.始計篇 (しけい)

自国と敵国の状況を比較し、勝算を計ることの重要性を説く篇

⇒ 無謀な戦争はしない。

戦争を決断する前に、戦争をすべきか避けるべきか、被害の大きさなどを考える。

2.作戦篇 (さくせん)

外征軍を派遣するために必要な軍費と国家経済の関係について述べる篇

⇒ 戦争を長期化させない。

戦争が長期化しても、国の利益にはならず損失の方が大きい。

3.謀攻篇 (ぼうこう)

実際の戦闘によらず、計略によって敵を攻略すべきことを説く篇

⇒ 戦わずして勝利を収める。

百戦百勝が最善ではない。戦闘をせずに敵を降伏させることこそ最善である。

4.軍形篇 (ぐんけい)

自軍は不敗の態勢を維持しつつ、敵軍の敗形を待つ。軍の形勢を説く篇

⇒ 防御を強化し、勝利の形を作る。

防御の形を作ると兵力に余裕が生まれるが、攻撃の形を作ると兵力は不足する。
攻撃は機を見て素早く行う。

5.兵勢篇 (へいせい)

軍全体の勢いによって勝利に導くことの重要性を説いた篇

⇒ 兵を選ばず、自軍の勢いを操る。

戦闘を開始する際の勢いを、巧みに利用する。

6.虚実篇 (きょじつ)

実によって虚をうつための戦術を説いた篇

⇒ 主導性を発揮する。

敵が攻撃できないように、また防御できないように戦う。戦いを思うままに操る。

7.軍争篇 (ぐんそう)

敵に先んじて戦場に到達する戦術を説く篇

⇒ 敵よりも早く戦地に着く。

回り道をいかに直進の近道にするか。兵士の集中を統一し、敵の気力を奪う。

 

8.九変篇 (きゅうへん)

九種類の臨機応変の対処法を説く篇

⇒ 将は戦局の変化に臨機応変に対応し、危険を予測する。

敵に攻められても大丈夫な備え、攻撃させない態勢をとる。

9.行軍篇 (こうぐん)

軍の進止や敵情偵察など、行軍に必要な注意事項を述べる篇

⇒ 戦場では敵の事情を見通す。

戦争は兵士が多ければ良いのではなく、集中して敵情を見れば勝利できる。

 

10.地形篇 (ちけい)

地形の特性に応じた戦術の運用法と、軍隊の統率法を述べる篇

⇒ 地形に合った戦術を用いる。

優れた将は自軍・敵軍・土地のことをよく考えて行動する。

11.九地篇 (きゅうち)

九種の地勢の特色と、それぞれに応じた戦術を述べる篇

⇒ 地勢に合った戦術を用いる。

最初は控えめに、チャンスができたら一気に敵陣深く侵入する。

12.用間篇 (ようかん)

間諜を用いて敵の実情を事前に察知することの重要性を説く篇

⇒ 事前に間諜(スパイ)を使って敵情を視察する。

敵のスパイもうまく誘って、こちらのスパイにする。

13.火攻篇 (かこう)

火攻めの戦術を述べるとともに、戦争に対する慎重な態度の重要性を説く篇 

⇒ 利益にならない戦争はしない。

火攻めは水攻めと違い、物資を燃やし尽くしてしまう。滅んだ国は再興せず、死んだ者は生き返らない。

『孫子』に著された、普遍の人間学

2008年、アメリカ合衆国を訪れた中国の胡錦濤(こきんとう)国家主席(当時)は、ジョージ・W・ブッシュ大統領(当時)に英訳した『孫子』を贈りました。一国のリーダーが読むべき書として、自国の先人が著した書を紹介したのです。いみじくも近代中国の変遷を見るとき、そこに『孫子』に著された〝負けない知恵〟の反映が感じられます。20世紀初頭に国力を失って欧米列強の支配下にあった中国が、国共合作や文化大革命といった混沌の時代を経て、およそ100年が経った今では、GDP(国内総生産)・GNI(国民総所得)ともにアメリカに次ぐ世界第二位の国家となっています。

孫武が著し、2500年にわたって多くの人々に愛読されてきた『孫子』。その魅力について、ある作家は次のように記しています。

「『孫子』は、戦争を通して人間の生き方や考え方を深く洞察しており、国や企業の運営、リーダーのあり方などのあざやかなヒントになる。戦争だけでなく、企業競争や経済戦争は結局、人間が引き起こし、人間が遂行するもの。勝つためには、技術の進歩や時代の変化を超えた普遍的な人間学が必要だ。生き方に迷い、リーダーとして何をすべきかを悩んだ時、『孫子』にはその道をさし示してくれる力がある

 


次回から不定期で、『孫子』の13篇をご紹介します。もちろん難解な原文を解説するのではなく、そこから現代人の仕事や人生に応用できるポイントを抽出しながら、わかりやすく解説する構成です。

孫武が目の前に現れ、メンターとして私たちの仕事や人生にアドバイスをくれるとしたら──そんなイメージでご一読ください。