『孫子』に学ぶ、人間学⑥人に依らず、勢いを操る
「負けないための兵法」と称される『孫子』の大要は、以下4点に集約されます。
1 戦争はしない。敵を味方に変える。
2 強き者とは戦わず、弱き者と戦う。
3 強き者の弱点が見つかるまで、戦わない。
4 強き者の弱点がわかれば、これを集中して攻める。
1は、『孫子』の真骨頂と言える「戦わずして勝つ」です。
2は、一見すると卑怯に思えますが、そうではなく「強き者=弱点が少ない者」「弱き者=弱点が多い者」と考えてください。相手が弱き者であれば、和議や調略、同盟など血を流さずに味方を増やすことができます。
3は、たとえ強き者でも、弱点が見つかればたちまち弱き者に転化します。そうなれば、命のやり取りをせずに敵を味方にすれば良いのです。
4は、2と同じく卑怯だと受け取られがちです。しかし、弱点を集中して攻めるのは勝負の常道。スポーツの世界でもあたりまえの戦略です。弱点を集中して攻めれば勝敗は早く決まり、結果的に傷つき命を落とす者の数を減らすことができます。
『孫子』は、できる限り血を流さず、「戦わずして勝つ」ことを教えています。それは、一つでも多くの命とともに国を繁栄させる道を、追求しているからです。これを踏まえ、『孫子』を構成する13篇について見ていきましょう。
5.(兵)勢(せい)篇 / 兵を選ばず、自軍の勢いを操る
軍全体の勢いによって勝利に導くことの重要性を説いた篇。
軍全体が自然に盛り上がる状況を作り、戦闘開始時の勢いを巧みに利用する。
現代社会においては、勢い・スピード・タイミングへの意識。
◎情報を共有し、迅速に伝達する
大部隊を、まるで小部隊を統率しているかのように整然と統制するには、部隊編成と組織運営がしっかり確立していることが前提となる。そのために旗を立て、鉦を鳴らし、太鼓を叩いて、合図や情報伝達を円滑に為さなければならない。
孫武は「少人数を統率するかのように大人数を統制するのが、組織運営のコツ」と説いています。そのカギとなるのが「情報共有」。「我々のやり方はこうだ」「めざしているのは○○」「これをしてはいけない」「こんな共通ルールを作っているから守るべし」といった情報を、日頃から共有することが重要です。「いつも近くにいるのに今さら……」「少人数だからわざわざ……」という考えは禁物。たとえ少人数であっても、常に情報を共有する習慣形成と環境整備を心がけましょう。
幸い、現代社会にはITという格好のツールがあり、膨大な情報をデータベース化すれば効率的に情報が共有できます。例えば、「こういうルールがあるから従ってください」ではなく、過去のデータを示しながら「5年前にこんなトラブルがあったので今のルールができました。面倒だけど、このルールでお願いします」と言えば、相手の受け止め方はずいぶんと違ってくるはずです。
また、情報共有の仕組みが確立すれば、ミーティングや会議の質も変わります。各自が端末で同じ情報や資料を見られるので、報告のための会議は不要です。そして、検討や議論、合意形成など建設的な目的の会議に専念できます。
そして孫武は、情報伝達の大切さを説いています。旗や鉦、太鼓などを使って、「まだ早い」「待機せよ」「今だ!行け!」とタイミング良く指示を出す。各自が勝手に動くのではなく組織的に動くために、こうした目印や合図が重要だと語っています。
現代では、やはりITの活用がこれを可能にしています。本社のリーダーから、全国に散らばる営業パーソンのタブレットやスマートフォンに、瞬時に指示を送ることができる。旗や鉦、太鼓が形を変え、ITというツールによって迅速確実に、情報の共有や伝達を実現する時代になりました。
◎まず身につけるべきは〝基本〟
敵のいかなる出方に対しても、すべての兵が適切に対応し、負けないよう行動できるのは、変幻自在な奇策と定石に則った正攻法を絶妙に使い分けられるからである。
孫武は、奇策と正攻法を使い分けることができれば、相手がどう攻撃して来ようとも負けはしないと言っています。
そのためにはまず、正攻法(≒定石)を知る必要があります。定石を知っていれば、相手が真正面から来れば定石どおりに対応でき、定石に外れたことをしてきても落ち着いて対処できるからです。定石を知らずに単なる思い付きで対処するのは危険です。
能を確立した世阿弥の「守破離」という言葉をご存知でしょうか。まず、基本となる型を「守る」。次に、自分に合ったより良い型をつくり、基本の型を「破る」。最終的には、型からも「離れ」、自在になる、という意味だそうです。
つまり、何事も最初は基本、すなわち定石から入ることが大切で、奇をてらった作戦でたまたま勝っても、定石を知らなければいつか必ず負けるでしょう。定石に忠実でありながら、時と場合によって、定石にこだわらない自由な戦い方ができることこそベストなのです。
現代のビジネス社会における基本とは、報連相やPDCAが身についている、ドラッガーの本くらいは読んでおく、基本的なビジネス用語は知っているといったところでしょうか。基本が身についていないのに、思いつきのアイデアで勝とうというのは無理があります。どんな攻撃にも耐えられる、つまり「負けない」ためには、定石(≒基本)を知っていることが大前提なのです。
◎正攻法と奇策を使い分ける
戦闘では正攻法で相手と対峙し、奇策を用いて勝利を収めるものである。ゆえに奇策に通じた者の打つ手は無限であり、揚子江や黄河のように尽きることが無い。
基本や定石に則った戦術である「正攻法」と、相手の裏をかく戦術である「奇策」。それらは相手次第で正攻法が奇策に、奇策が正攻法に変わります。
正攻法と正攻法がぶつかれば戦闘は膠着し、なかなか勝負がつきません。そこで、相手の裏をかくために奇策を講じます。しかし、毎回奇策を講じていると、相手はそれを予測するので裏をかくことはできず、結果として正攻法と同じことになります。
一方、相手が奇策を予想している時にこちらが正攻法で攻めれば、相手にとっては裏をかかれたたこと(奇策)になります。つまり、常識にとらわれてはいけない、常識は常に変化するということです。
状況に応じて、正攻法と奇策は変化します。両方を使い分けることができれば、正攻法と奇策は「メビウスの輪」のように表裏一体となり、戦い方は無限に広がります。
◎勢いとタイミングを見極める
激しい水の流れが岩石さえ漂わせるのは、水に勢いがあるから。猛禽類が急降下して獲物を一撃で仕留めるは、絶妙のタイミングだから。つまり戦上手は、戦闘への勢いを最大化し、その勢いを一瞬に集中させて放出する。
多くの将が、勢いのある時が攻め時(タイミング)と考えますが、孫武は、勢いとタイミングは別物で、その両方が必要と説いています。勢いはもちろん重要ですが、それだけではなく、絶妙なタイミングに合わせて一点集中すると勢いが増す、と言っています。前回の軍形篇で紹介した、「エネルギーを貯め込み、ここぞというときに一気呵成に放つ」ように、ダムに貯めた水を「ここぞ!」というタイミングで一気に決壊させるイメージです。
◎過去の成功にとらわれない
混乱は整然と統治された状態から生まれ、臆病さは勇気から生まれ、弱みは強みから生まれる。乱れるか治まるかは組織次第。兵が尻込みするか勇敢になるかは勢いにより、強みとなるか弱みとなるかは軍の置かれた態勢や軍形による。
孫武は、「治乱(秩序と混乱)」「勇怯(勇気と臆病)」「強弱(強みと弱み)」は、固定的ではなく常に入れ替わり、相対的であって絶対的ではない、と言っています。そして、だからこそ安心や慢心、油断は禁物と戒めています。
ここでポイントとなるのが「数」「勢」「形」。「数」とは組織運営、「勢」とは組織を動かす勢い、「形」とは敵味方の配置(ポジション)です。ちょっとした成功で調子に乗れば、すぐに失敗する。強みにあぐらをかけば、それはすぐに弱みに変わるという教えでもあります。人間は誰しも成功体験に酔いしれるものですが、過去の体験に依存していては流れに乗り遅れ、失敗につながりかねません。
「そんなことわかっている」という思考は、時流の変化や環境の変化への感性を鈍らせます。顧客やマーケットは常に変化していることに追いつけなくなるのです。
「俺には俺のやり方がある」と、会社の新たな取り組みに否定的な態度を示す人も少なくありません。たとえ今までは優秀な社員でも、なまじ実績があるので社内では厄介な存在になり、やがて組織にとってガンとなることも。もちろん「自分流」は決して悪いことではありません。しかし、意地でもそれを通そうとすれは、そこに弱みが生じます。「負けない」ために、「自分流」を常に疑う姿勢が大切です。
◎先回りして待ち受ける
巧みな指揮官は、敵が動かざるを得ない態勢をつくって自在に敵を動かす。敵の利益になるエサをちらつかせ、これを得ようとする敵を意のままに動かす。すなわち、敵の利によって敵を動かし、知らずに動く敵を万全の準備で待ち受ける。
顧客ニーズを考えてそれに応えれば、顧客は喜んでくれます。しかし孫武に言わせれば、「顧客のニーズに応える」という発想で終わってはダメなようです。
顧客ニーズに応えるのが目標ではなく、顧客が動いた瞬間をとらえ、次の行動を予測することが大事と語っています。つまり、相手の考えを越えよ、ということでしょう。周到な意図で、まるでエサでおびき寄せるかの如くニーズをとらえよと語っています。
人は自分の思い通りには動きません。しかし相手の立場を考え、「きっと、こうしたいのだろう」とわかったら、そこへと進む流れをつくるのです。当然、相手はそちらに行くでしょう。つまり、相手が望むことを手助けする。すると、相手があなたの思い通りに動く瞬間が自然に生まれる。そこへ先回りして〝仕掛け〟を用意しておく。単に相手の望む通りにするのではなく、相手をサポートしつつ自分の望む態勢への流れをつくることが大切です。
◎勢いのある流れをチームに生み出す
有能な指揮官は、戦闘の勢いで勝利を得ようとし、兵士個人の力には頼らない。
チームで動く場合に重視すべきは、勢いのある流れを生み出すこと。この時、メンバーの能力の高低を問う必要はありませんし、まだ能力が低いメンバーに対して「あいつが悪い」と絶対に責めてはいけません。チームでうまく仕事をするには、人のせいにしても仕方ないのです。注力すべきは、チーム全体の流れを勢いづかせること。ちょっとした成功の積み重ねがチームのムードを変え、勢いを生みます。
営業チームの勢いは〝売れる〟ことで自然に増します。誰かが売れると、能力が低いメンバーも「俺もがんばろう」「私にも売れる気がしてきた」という気になるものです。チームの勢いが増すことで、売れない営業パーソンが売れる営業パーソンに変わったという実例は、枚挙にいとまがありません。
もちろん、売れる営業パーソンの属人的な能力に依存してはいけません。つい「彼がいるから」「彼女のおかげで」と安易に評価し、「あとは任せた!」と丸投げするマネージャーがいます。確かに最初はほめられてやりがいを感じ、期待に応えようと頑張ってくれるでしょう。しかし期待通りに成果を出し、社内での発言力が増すと、やがて「私がこの会社を支えている」「俺がいないとこの会社はダメだ」と慢心が生まれる。そうなるとチームの雰囲気は一気に悪化し、場合によっては顧客やメンバー連れて辞めていくこともあります。
この結果を生み出したのは、その売れる営業パーソンに依存していたマネージャーの責任です。誰かに頼るのではなく、その人に代わるメンバーを育成し、平均的な能力のメンバーばかりでも成り立つ仕組みを構築するのが、マネージャーが為すべき本来の仕事です。メンバーの能力の違いに目を向け過ぎず、チーム全体の流れをいかに生み出すか、どのように勢いづかせるか。それがもっとも重要なのです。
「負けないための兵法」である『孫子』───今回は、兵勢篇から「人に依らず、勢いを操る」という教えを学びました。次回は、虚実篇を通して、「主導性を発揮する」というテーマについて、考えてみましょう。
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