『孫子』に学ぶ、人間学 ② 勝敗は、戦う前に決まっている
【第2回】勝敗は、戦う前に決まっている
1 戦争はしない。敵を味方に変える。
2 強き者とは戦わず、弱き者と戦う。
3 強き者の弱点が見つかるまで、戦わない。
4 強き者の弱点がわかれば、これを集中して攻める。
1は、『孫子』の真骨頂と言える「戦わずして勝つ」です。
2は、一見すると卑怯に思えますが、そうではなく「強き者=弱点が少ない者」「弱き者=弱点が多い者」と考えてください。相手が弱き者であれば、和議や調略、同盟など血を流さずに味方を増やすことができます。
3は、たとえ強き者でも、弱点が見つかればたちまち弱き者に転化します。そうなれば、命のやり取りをせずに敵を味方にすれば良いのです。
4は、2と同じく卑怯だと受け取られがちです。しかし、弱点を集中して攻めるのは勝負の常道。スポーツの世界でもあたりまえの戦略です。弱点を集中して攻めれば勝敗は早く決まり、結果的に傷つき命を落とす者の数を減らすことができます。
『孫子』は、できる限り血を流さず、「戦わずして勝つ」ことを教えています。それは、一つでも多くの命とともに国を繁栄させる道を、追求しているからです。これを踏まえ、『孫子』を構成する13篇について見ていきましょう。
1.始計(しけい)篇 / 無謀な戦いはしない
自国と敵国の状況を比較し、勝算を計ることの重要性を説く篇。
戦争を決断する前に、戦争をすべきか避けるべきか、慎重に判断することが大切。
◎事前準備に〝万全〟はない
戦争は国家の大事であり、避けて通ることはできない。国民にとっては生死が決まり、国家にとっては存亡が決まる、分かれ道。ゆえに事前の徹底した研究が不可欠であり、決してこれを軽視してはならない。判断の軸となる五事(5つの要点)をもとに徹底して比較検討を重ね、戦況を正しく把握することが重要である。
始計篇を一言で表すなら、「無謀な戦いはしない」ということに尽きます。現代を生きる私たちに置き換えれば、戦争とは、人生のあらゆる場面における〝選択〟や〝競争〟だと言えるでしょう。
ビジネスシーンにおける選択や競争の場面は、数限りなくあります。人生全般においても、進学、就職、結婚、転職、昇進、マイホームの購入など、毎日が戦い(選択・競争)の連続です。これらの場面で多くの人は、「勝とう」と考えます。しかし『孫子』は単純に「勝とう」とするのではなく、「慎重に考え、判断し、勝ちを手にせよ」と示唆しています。まわりに流され、勢いで選択・競争するのではなく、事前に十分な準備を整えながら考察すれば、戦う前から勝敗は予想できると言っているのです。
◎5つのポイントで、戦略を定める。
「道(正しいあり方)、天(自然)、地(地形)、将(リーダーシップ)、法(軍法)」の五事(5つの要点)を明確にした上で戦況を判断し、自らの戦い方を見定めることが重要である。
正しい選択のためには、正しい判断が欠かせません。『孫子』では「道・天・地・将・法」の5つの要点をふまえ、正しく判断することの重要性を説いています。現代に置き換えるなら、「道(使命感)、天(環境・トレンド)、地(ライバルの実状)、将(リーダーシップ)、法(習慣・マイルール)」といったところでしょうか。
5つの要点を明確にするには、価値観、得意不得意、関心、行動パターンなどを通して自分を知り、〝自分のモノサシ(判断基準)〟を持つ必要があります。自分は何をもって勝ち負けとする人間なのか、自分にとっての〝幸せ〟とは何か。それを明らかにする中で、自分がやるべき仕事、選択すべき判断基準が明確になっていきます。
◎迎合せずに、主張する
もし(呉王が)私の兵法を聴き入れるなら、私は将軍として軍隊を率いて必ず勝利する。ゆえにこの地に留まろう。しかし、もし(呉王が)私の兵法を理解し受け入れないのであれば、たとえ私が将軍となっても必ず敗北する。ならば、この地を去るしかない。
孫武は呉王に対して泰然と、自分の採否の決断を迫りました。5つの要点をもとに〝自分のモノサシ(判断基準)〟を定めたら、安易に意見を曲げることなく、異論に対して自らの考えをきちんと主張しましょう。孫武のように「聞き入れないのなら、辞めてやる」くらいの覚悟が、時には必要です。
ビジネスシーンでは、さまざまな考えが交錯します。例えば、自分の考えに沿わない方向へ大勢が向いた時、「私はこう思います」「その判断は間違っていませんか?」と意思表示をすることは、とても大切です。信念を曲げ、迎合してばかりいては、あなたの存在感は次第に小さくなり、気がつけば”イエスマン〟と揶揄されているでしょう。
もちろん自分の間違いに気づいたら、素直に反省して修正すべき点は修正する。意地を張り、頑迷になってはいけません。人生は〝トライ&エラー〟の連続。たとえあなたの主張が未熟でも、主張しない人、挑戦しない人より、はるかにましです。
いわば、キャッチボールと同じです。あなたがボールを投げなければ、相手は投げ返すことができない。キャッチボールを続けるうちに相手との関係性が深まり、互いに「キャッチボールをしよう!」と誘いやすくなります。しかし、ボールを投げてこない相手とキャッチボールをしようとは、誰も思いません。
言われたことをやっていれば良い時代は終わりました。今は、自分の仕事に強い執着を持ち、「自分はこういう仕事がしたい」と主張することが求められています。ただし、ものの言い方や態度には注意が必要です。乱暴なコミュニケーションで不要な感情的しこりを生むのは、時間のムダであり、本末転倒です。
◎良い意味で期待を裏切り、手柄は他者に譲る
戦争とは、相手をあざむく行為。ゆえに、戦闘能力がどれだけあろうとも無いように見せかけ、作戦を遂行しようとする際はそれを気取られぬよう注意する。
これは「あざむく」という教えです。ここには2つの意味がこめられています。
一つ目は、〝良い意味で〟相手の期待を裏切る(あざむく)ということです。この相手とは、お客さまや上司、先輩、同僚、友人、家族。単に相手のニーズに応えるだけではなく、相手が想定していない価値をプラスして応えることを指しています。つまり〝サプライズ〟。相手の予想しない領域に〝感動〟は生まれるのです。
サプライズを成功させるには、事前準備が欠かせません。十分に準備し、相手の思いを先回りして考える。当然、相手のことを知らなければなりません。相手の考えを読み取り、その上を行く。あるいは相手の言葉の端々から本当の望みを把握し、要求とは違う形で相手の満足を勝ち取る。つまり〝良い意味で〟の裏切りです。
二つ目は、〝能ある鷹は爪隠す〟を実践し、「味方をあざむく」ということ。自分の能力を不用意に見せてしまうと、人はあなたが能力をひけらかしているように感じ、反感や嫉妬を生みかねません。ここでは駆け引きが必要です。
もしあなたがある案件の準備に尽力し、それが成功したなら、手柄は他者に譲りましょう。ここで「自分はこんなに頑張った」と言ったところで、それがどれほどの価値を生むでしょうか。見ている人は見ています。下手なアピールで反感や嫉妬を買うより、成功体験を蓄積し、自分に磨きをかける方が得策です。その時は勝ちを譲っても、長期的な視点で見れば、あなたは決して負けてはいません。
『孫子』の「あざむく(詭(き)道(どう))」という教えに対して、「孫子の兵法はずるい」「正々堂々と戦うべきだ」と受け止める人がいます。しかし、思うのです。正々堂々と戦ったとしても、負けてしまっては元も子もない。孫武は命がけの戦いの指南書として『孫子』を著しました。なぜなら一つでも多くの命を守り、国を存続させるために。それは、厳しい現代社会を生き抜く上でも、まったく同じことではないでしょうか。
◎勝つイメージを脳裏に焼き付ける
勝算が相手よりも多ければ実戦で勝利し、少なければ実戦で敗北する。ゆえに勝算が一つもなくては、話にならない。私(孫武)は勝算を計るため、徹底した比較検討と戦況判断をくり返すことで、事前に勝ち負けを見通している。
孫武に言わせれば、戦う前から勝負は決まっているのです。つまり、イメージトレーニングが重要で、勝つイメージが描ければ、能力を十二分に発揮することができると言っています。例えばスポーツ選手は、日々の練習でイメージトレーニングを行いながら、自らの肉体の可能性を追求します。
大切なのは、戦う前に十分なイメージトレーニングを行うこと。戦いが始まってからでは間に合いません。とにかく事前の準備に注力し、勝算が得られるまで念入りな準備を重ねましょう。将棋の棋士が何手先まで読むのも、不安要素を一つでもつぶすために他なりません。そして準備が足りない、危ないと感じたら、すぐに新たな準備を行い、不足部分を補強しましょう。
時には、あなたの「五事(5つの要点)」を修正する必要があるかもしれません。使命が間違っていないか、環境を正しく把握しているか、ライバルの動向をつかんでいるか、リーダーシップは取れているか、自分を磨く習慣を続けているか……。必要な修正をいとわず、臨機応変に対応しながら、「これだけやれば負けそうにない」と思えるまで事前準備を進めてください。もし「負けるかも…」「勝てそうにない…」と感じる、あるいは結果的に負けてしまったとしたら、それは〝準備不足〟です。それでも孫武の時代と違って、たとえ負けても命を失うことはありません。だから失敗を生かし、次は必ず勝てば良いのです。
自分を磨き、確固たる「五事(5つの要点)」を確立し、実戦のあらゆるパターンを想定しながら準備を重ねる。そうやって勝算を高めていきましょう。
「負けないための兵法」である『孫子』───今回は、始計篇から「無謀な戦いをしない」という教えを学びました。次回は、作戦篇を通して、「負けない勝ち方」について考えてみましょう。
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